レイキとの出会い。知りたい気持ちが止まらなかったあの頃
私は「レイキ」というものを学んでいます。
その言葉に出会ったのは、息子を出産したあと、リラクゼーションサロンで働いていたとき。
たまたまネットで目にした「レイキ」という言葉が、なぜか妙に気になって、本や記事を読み漁るようになりました。
「やってみたいな」と思ったのは、リラクゼーションの施術にも役立ちそうだと感じたから。自宅から通える場所を探して、学びはじめました。
でも正直に言うと、最初は「あやしい」と感じていました。
だって、「宇宙エネルギー」とかいう言葉で説明されるんです。
私は案外、現実的で理屈っぽい性格。「宇宙エネルギーって何?」という疑問から始まって、宇宙とは?エネルギーとは?ビッグバンってどうやって起きたの?・・・そんなふうに芋づる式に「知りたいこと」が湧いてきて、気づけば宇宙やエネルギーに関する本ばかり読んでいる日々が続きました。
「レイキって何?本当のところを知りたい。」
その想いが強くて強くて、でも「宇宙エネルギー」なんて言葉は、地球でこじんまり生きている私には、雲をつかむような感覚。
知識ばかりを詰め込んで、頭だけがパンパン。そんな状態では、まだ抱っこばかりの息子との生活を、心から楽しめるはずもなく。
「あれ?私、なんでこんなに焦ってるんだろう?」
ふと、我に返った瞬間がありました。
「真実」よりも「信じたいもの」を大切にしたい
「真実を知る」って、そんなに大事?私がそもそも「目に見えない世界」に興味を持ったのは、「もっと楽しく生きたい」と思ったからだったのに。
なんだか生きづらいな。
人生って、こんな感じなのかな。
いや、そんなはずない。
今の私には見えていないだけで、もっと素敵な何かがきっとある。
その「素敵な何か」をただ探したくて、「目に見えない世界」に心が向いていったのに。
探したいから、知りたいから、
生きてるわけじゃない。
楽しく暮らしたいから、探してる。
知ろうとしてる。
なのに、探すことや知ることに夢中になって、日常が「心ここにあらず」になっていたら、本末転倒だなぁと思った。
なんせ、こんな三頭身でかわいい時期の息子との日々を、ぼんやり過ごしてしまうなんて、もったいない。
そう思ってからは少しずつ、
「真実はどうでもいいのかもしれない」
と考えるようになりました。
「私は何を信じたら、楽しく生きられる?」
「どんなふうに考えたら、もっとラクに生きられる?」
そのことを、何より大切にしたいなと思うようになりました。
やさしい物語たちとの付き合い方
たとえば
「今年もいい年になりますように」と神様に手を合わせたり、鬼が家に入ってこないように豆をまいたり、七夕の日にお願いごとを書いたり。お盆にはご先祖様を迎える火を焚いたり、テストの前日に「カツ」を食べたり、サンタクロースにプレゼントをお願いしたり。
どれも本当かどうかはわからないけれど、目に見えないものを信じることで、楽しさや安心感が生まれたり、気持ちをリセットして「またがんばろう」という力が湧いてきたり、誰かと心を通わせるきっかけになったり。
そんな感じでいいのかもしれないな、と今は思っています。
「私は何のために生きてるんだろう」
「人間って何なんだろう」
「宇宙はどうなっているんだろう」
そんな大きな問いだって「楽しく生きるための物語」で包んでしまってもいいのかもしれないなと思う。
たとえば最近の話。
私は運転が苦手。毎日の運転の中でヒヤッとすることがよくあって、ネガティブな想像がぐるぐる頭を回ることがある。
事故を起こしたらどうしよう。
もし私が死んだら、息子はどうなるだろう。
逆に、もし息子が死んでしまったら、私はどう生きていくんだろう。
そんなとき、ふと前日に友達と「寿命って決まってると思う?」という話をしたことを思い出した。私はそのとき、「だいたいは決まってると思う」と答えたと思う。
「寿命はだいたい決まってると思う」
その自分の答えを思い出したとき、なんだか少し肩の力が抜けたような気がした。
「死ぬときは死ぬ!」と信じてみると、ほんのちょっとだけ怖さがゆるむ。 逆に「寿命は自分次第!」と思うと、なんだか自分の力でコントロールしなきゃと、肩に力が入ってしまう。怖さが増してしまう感じがする。
だから今の私にとってはきっと「寿命はだいたい決まってる。死ぬときは死ぬ」と信じた方がいい。 寿命が決まっているか決まっていないかなんて本当のところは誰にもわからないけれど、そのほうが日々の運転で私の心がラクだから。もちろん、慎重に運転をすることは大前提だけれど。
「真実」を追うことは、科学者さんにおまかせして。
私は私にとって心地いい「物語」を胸に置いて、日常を大切に丁寧に過ごしたいなと思う。
今の私にとってしっくりきているのは、「レイキ」のある世界と、「ホ・オポノポノ」の考え方。 それらを信じて生きることで、日々の暮らしがあたたかく、やさしく、素敵なものに感じられる。
だから私は、この物語をそっと胸に置いて暮らしています。
はじめに自分自身が「あやしい」と思ったからこそ、「あやしいって思われたくない」という気持ちが強くて、なかなか人に言えずにいたけれど。
このブログではこれから少しずつ、私が信じている物語についても書いていこうかなと思っています。 だってそれは私にとって「本当に知れてよかった」と思える、大切な物語だから。
「なんかいいな」と感じたら、どうかあなたの物語の一部にしてもらえたらうれしい。 「なんかちがうな」と思ったなら、そっと離れてもらって大丈夫。
私はこんな物語を信じています。
あなたは、どんな物語を信じてる?
ちなみに妖精っていると思う?
私はいてほしいって思う。
お花に妖精が住んでいると思うと楽しいから。
今の私の「目に見えない世界とのつきあい方」は、そんなゆるっとした感じに落ち着いていて、真実を追い求めていた頃よりも楽しく暮らせているような気がしています。
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セラピストもよ