真顔の息子が教えてくれた「今」を味わうということ。

真顔で音楽を聴く ブログ

平日の朝と夕方、私はEVトゥクトゥクという三輪の乗り物で片道20分ほど、息子の学校まで送迎をしている。

EVトゥクトゥクで送迎

黄色くて小さなそのEVトゥクトゥクにはBluetoothスピーカーがついていて、スマホから好きな音楽を流せる。

行きは息子の好きな曲、帰りは私の好きな曲。好きな音楽のジャンルがちがう私たちは、そんなふうにして折り合いをつけて、車内で音楽を流している。

つまらなそうに見えていたのに

つまらなそうな真顔

EVトゥクトゥクにはドアがなく、チャック式のカバーで風をしのぐような構造。走り出すと車体の揺れ風の音が大きくて、普通の声では会話がまったく聞こえない。

息子に後ろから話しかけられても聞こえなくて、「え一!?なんて一!!??」ばかりを繰り返していたら、息子はトゥクトゥクの中で私にあまり話しかけなくなった。

息子が作ったお気に入りのプレイリストは、ほとんどクリーピーナッツの曲。車内では、なかなかの爆音でノリノリの曲が鳴り響いている。私は毎朝「朝からクリーピーナッツはちょっとキツいなぁ…」と思いながら、運転をしている。

ある朝、信号で止まったときに、ふとふりかえって後部座席の息子を見た。彼は真顔で、遠くをぼんやりと見つめている。 「しゃべれないし、そりゃ退屈だよね」と思いながら、私はまた前を向いた。

その日、学校に着いても息子はすぐに降りようとしなかった。真顔のまま、ぼーっと前を見つめている。

「どうしたの?」と聞くと、意外な返事が返ってきた。

この曲だけ、どうしても聴いてから行きたい

ぼーっとしているように見えていたけれど、音楽に集中していたんだ、とハッとした。

曲が終わると、「よしっ!」と元気に声を出して、ランドセルを背負う。

「めっちゃ真剣に音楽聴いてたんやね」

私がそう言うと、息子は不思議そうな顔で言った。

え?母ちゃんは真剣に聴いてなかったの?あんなにいい曲流れてたのに?

その言葉が、妙に頭の中に残った。

音楽は「ながら」で聴くもの?

音楽は「ながら」で聴くもの?

思い返せば運転中、私は頭の中でずっと何かを考えている。「今日の夜ご飯は何にしよう」「買い物は朝に行く?夕方?」そんな「頭の会議」をずっと開いていた。

大人になってからの私にとって音楽は、いつもBGMだった。なにかをするときに音楽がかかっていたら、なんだか気分が上がるよね、という感じ。

でもふと思い出した。小学生の頃、ツタヤで借りてきたCDの歌詞カードを目で追いながら、ただひたすら音楽を聴いていた時間。あの頃の私は、音楽を“聴いて”いたなと思う。

息子が後部座席にいない帰り道、いつもは片耳にイヤホンをつけて、YouTubeを聴くのだけれど。

その日はなんとなく、息子の言葉が胸に残っていたので、音楽を流すことにした。選んだのは、もう解散してしまったけれど、ずっと大好きなチャットモンチーのアルバム。

リズムが体に響いてくる。
歌詞が心に染みてくる。
なんだか楽しくなってきた。

私は音楽を「聴く」のが好きだったことを思い出した。

そんな中、こんな歌詞が流れてくる。

あたりまえではない
日常的ではない
よくぞここまでたどりついた
拍手 きみに会えた私
よくぞここまでたどりついた

その瞬間、なんだかうっかり涙腺がゆるんでしまった。

音楽が「頭」から「体」へと戻してくれる

音楽が「頭」から「体」へと戻してくれる

私は運転が苦手だ。苦手だし怖いし、揺れるしうるさいし、息子ともしゃべれないしで、毎日の送迎が憂鬱で仕方がなかった。

息子が後ろに乗っていない時は、なんとか送迎の時間を「楽しい時間」にしようと、好きなYouTubeを聴いたりしてやり過ごしていたけれど。息子が後ろに座っている時は、なんとか「意味のある時間」にしようと、頭の中であれやこれやと考える時間になっていたけれど。

でも、それがかえって私を疲れさせていたんだなと気づいた。

音楽を真剣に聴いていると、頭のほうにのぼっていた血が、体に戻っていくような感覚がある。

頑張りすぎた日、頭が疲れた日、音楽はやっぱりいい。

真顔で聴くのもアリなんだ

真顔で聴くのもありなんだ

ある休日。リビングで息子が大の字に寝転んで、天井を見上げてぼーっとしていた。

「ひまそうやね」と話しかけると、

今集中してるから、話しかけないで

ときっぱり。

その瞬間、アレクサからクリーピーナッツの曲が流れていることに気づいた。家事をしていたから、また私にとってはBGMになっていた。息子はまた音楽を「真剣に聴いていた」んだな、と気づいた。

私は少し笑いながら、「じゃましてごめん」と言った。

音楽に限らず、彼の真顔の奥には、きっと豊かで濃ゆくて深い時間が流れている。ぼーっとしているように見えるその時間が、きっと彼にとっては「大切な時間」なんだと思う。

真顔=退屈そうは、息子には当てはまらないのだ。

今日も真顔で、「今」目の前にやってくることを全力で味わっている。

私ももっと「今」に居て、目の前にあることを味わえたらいいなと思った。

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