モヤモヤの日に選ぶ、名もなき過ごし方
息子が学校に行っていて、仕事もお休みの平日。 あるいは、息子と父ちゃんが出かけていて、家には誰もいない休日。
そんな「ひとり」の時間があるとき、私が1番満足できる過ごし方は、「カフェに行って本を読むこと」だ。
人それぞれ「これをしたら元気が出るんだよなぁ」というリフレッシュ法があると思うけれど、私の場合は「カフェに行って本を読むこと」が、1番自分を充電できる時間。
でもときどき、カフェに行って本を読んでも、「なんかモヤモヤするなぁ」「なんだかスッキリしないなぁ」っていう時がある。そういうときには、別のリフレッシュ法を持っている。私が最近見つけた、ちょっぴりスペシャルな過ごし方。でも、それにはまだ名前がついていない。
人から見れば、それは「家の掃除」だったり、「模様替え」だったりするのかもしれない。でも、私にとってはもう少し違っていて、その言葉だけでは言い表せないような気がしている。
家の中の「声」に耳をすます

たとえば、「今日はなんだかモヤモヤするな」と思った日。 私はそっと、家の中の「声」に耳を澄ませてみる。
すると家の中の住人たちが、次々と私に話しかけてくるような感じがする。
私は急にひっぱりダコ。
「ここの角にホコリがたまってるんだけど」
そんな声が聞こえたら、そのホコリを取り、ゴミ箱へポイ。 ついでにぞうきんで、その角をキュッと拭いてあげる。
「私の場所は、ここじゃないの」
ずっとダイニングテーブルに置きっぱなしだった本が、ぽつりと訴えてくる。そっと本棚に戻してあげると、ホッとしたような気配を感じる。
「私、汚れてきてるの」
ふと目に入ったソファ。一見きれいに見えるけれど、なんだかくたびれているような感じもする。ソファカバーを外して洗濯して、太陽の熱でカラッと乾いたカバーを掛け直すと、ソファが満足そうにうなづいている感じがする。
「私たちを触って」
あまり開ける機会のなかった引き出したちが、そっと手招きしてくる。 一つひとつ開けて、中の物を全部出して。まるでクラス替えみたいに配置を変えて、新しい場所に入れ直す。 さわってもらった物たちが、ウキウキと新しい席に座ってるみたいに見えてくる。
「私、ここじゃない気がする」
料理中によく使うのに、なぜか奥の引き出しにしまわれていたトング。ガスコンロの近くの、おたまを入れてあるコップに仲間入りさせてあげる。
そんなふうに、家の中の声に耳を傾けて、ひたすら応えていく時間。
するとある瞬間、ふっとその声たちが止まる。 家の中が急に静かになる。
そのタイミングで、私は丁寧にコーヒーを淹れる。そしてソファに座って、その一杯をゆっくりすする。
そのときの、あの感じ。 頭の中はスッキリしていて、心もシーンと静か。家の中と自分自身が、ひとつにつながっているような、そんな感覚。
整えて、やっと自分に戻る

この時間の大切さに気づいたのは、去年の息子の夏休みが終わった頃だった。
長い夏休みが終わって、ようやく通常モードが戻ってきたのに、なぜか落ち着かない。家の中も、どこかくつろげない。
「なんでだろう?」とぼんやりしていると、ふと冷蔵庫が目に入った。キレイに見えるのに、どこか黒いモヤがかかっているような感じがして、気持ちがざわついた。
中の物を全部出して、内側も外側も丁寧に拭いてみたら。 そのモヤがスッと晴れて、冷蔵庫が「ありがとう」と言っているような気がした。
そこから、家の中のあちこちが気になり始めて、時間があれば整える日々を過ごした。そしてある日を境に、家の中が急に静かになった。そして、ようやく家の中でくつろげるようになった。
そのとき、はっと気づいたのだ。
夏休みのあいだ、私は家の中の小さな声を、ずっと無視していたなって。
「ここ、ホコリたまってるよ」
「ここ、片付けて」
「ここ、模様替えしたいな」
そんなささやきを、聞こえないふりしていた。
家はもしかしたら、私が耳を傾けなくなるとスネてしまうのかもしれない。モノたちが私にプイッと背を向けて、家全体がよそよそしくなって。だから落ち着かなくなるのかもしれない。
そう感じた。
それからは、忙しい日が続いたあとや、モヤモヤするときは、あの「家の中の声に耳をすます時間」を持つようにしている。
もちろん、カフェで本を読んだり、実家で美味しいものを食べながらおしゃべりしたり、友達とランチしたり、買い物や温泉に行くのもいい。 リフレッシュできる。
でも、私の根っこはやっぱり「家の中」なんだと思う。
家の中が整ってこそ、私は安心して、外の世界を楽しめる。私が私でいられるのは、きっとこの「家」とつながっているから。
名前はまだないけれど。
これからも私は、この時間を大切にしていきたいなと思っています。
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セラピストもよ