「大人数の会話や集まりが苦手」それでも人の輪に入りたい気持ちを大切に。

「大人数の会話や集まりが苦手」それでも人の輪に入りたい気持ちを大切に。 ブログ

大人数の中で感じる「しんどさ」とその理由

私には、どうしても克服できない「苦手なこと」がある。 それは、3人以上の会話や集まりだ。

人と話すのは好き。
基本的に、人が好き。 
でも、それは1対1のときに限る。

だいぶ前、夫と一緒に「アメトーーク」を見ていたとき、「大人数で前に出づらい芸人」の回があった。 その中で、ある芸人さんが「車の車線変更が苦手な人は、大人数の会話が苦手」と話していた。それが妙にしっくりきて、今でもずっと心に残っている。

実際、私は車線変更が本当に苦手だ。 息子の送迎のために乗っているEVトゥクトゥクは、最高速度が50キロ。いつも左車線の端っこをノロノロ走っている。 でも、右折するときや、バスが止まっているときは、どうしても右車線に移らないといけない。 そんなとき、どうしてもタイミングがつかめない。結局、車線変更できずに右折できなかったり、バスの後ろでじっと動き出すのを待っていたりする。

後ろの車たちは、スイスイと右車線に入り込んでいく。 「あんなふうにできるなんて、こわくないのかな。ぶつかったら死ぬかもしれないのに」と思う。

大人数の会話も、まさにそんな感じ。 会話がポンポンと弾んでいると、そのスキマに入るタイミングが、どうしてもわからない。

もし誰かが私に話を振ってくれたなら。それは、車線変更をしようとする私を見て止まってくれる親切なドライバーさんみたいなもので、私は話せる。 もしくは、シーンと輪の中の会話が止まったのなら。赤信号でガラガラになっている右車線みたいなもので、自分から話題をふることもできる。

でも、車が多すぎる=人数が多すぎる、または車の流れが止まらない=会話のスピードが速すぎると、ただ輪の中でウンウンと聞いているのが精一杯。 だんだん、どこを見ていたらいいのか、誰に意識を向けていたらいいのか、わからなくなってくる。目と頭がぐるぐる回るような感覚になってくる。

そんな中でも、「あ!私もこれ話したい!」と思う瞬間がある。 でも、そのタイミングをつかめない。するとモヤモヤする。さみしくなる。

その結果、その集まりが終わるとだいたいヘトヘトになっている。 家に帰っても、今日の会話の内容が頭の中でぐるぐるまわり出し、反省会まではじまる。そして私調べでは、約50%くらいの確率で頭痛が始まり、ロキソニンのお世話になってしまう。

苦手でも、がんばってきた過去とその限界。

苦手でも、がんばってきた過去とその限界。

この「苦手」な感覚は、高校生くらいからじわじわと育ってきた。 大学生の頃は「慣れの問題だ」と思って、あえて人が多い場に行ってみたりもした。 そのおかげで、「それなりにふるまう」ことはできるようになった気はする。

ヨガのインストラクターをやっていたこともある。 「緊張するのは、自分に意識を向けすぎているから。お客さんに意識を向けて」と先生に言われたとき、 「私は“よく見られたい”気持ちが強すぎるのかな?」と、自分をなんだか恥ずかしく思ったこともある。

「たくさん練習すれば絶対できるようになる」「自分をよく見せすぎようとしない。今自分にできることをすればいい。」ということを心に刻んで。2年間フルタイムでレッスンをして、一応1時間のレッスンは無事にこなせるようにはなったけれど。でも例えば30人以上の前でレッスンしているとき、「60個の目が私の方に向いている」と感じては「今すぐここから逃げ出したい」と思った。「できる」けど「しんどさ」はなくならなかったのだ。

その経験を経て思ったことは、がんばれば「苦手」を「一応できる」にすることはできるけれど、 「得意」や「楽しい」に変えるのは、たぶん無理なんだろうなということ。

だから私はこれからも「大人数の会話や集まりが苦手」なままなんだ。 私はよくがんばった。これだけがんばってきたのに疲れるんだから、もう無理。仕方がない。

そうあきらめて、「私はもう大人数の場所にはできるだけ近づかない。参加しない。気の合う人たちと1対1で会えればそれでいい。」そんな極端な時期がけっこう長く続いた。要は、すねちゃったのだ。いじけちゃったのだ。

「苦手」とうまく付き合う、今の私。

「苦手」とうまく付き合う、今の私。

でも、最近ちょっとだけ変わってきた気がする。

息子の学校の集まり。マンションのイベント。整体やレイキの練習会。 そういった「大人数」の場に、無理のない範囲で参加している。

もちろん、行く前は心も体もキュッと緊張する。 でも「苦手だけど、本当は人の輪の中に入りたい」という、小さな気持ちがあることに最近気づいた。そんな気持ちを、大切にしてみたいなと思うようになった。

えいっと参加してみると、 なじめない日もある。会話に入れない日もある。 ひとりでポツンとなる日も、帰ってヘトヘトになる日もある。 ロキソニンを飲む日だって、やっぱりある。

でも、前より「変な疲れ」がない。

なんでだろう?と考えてみると。たぶん、「自分を責めなくなったから」だと思う。

前は、帰ってきてから頭の中で自分を責めていた。 「また楽しめなかったね」「なんであのとき話せなかったの?」「だから私はダメなんだ」 そんな意地悪な声が、頭の中でぐるぐるしていた。

でも今は、もうひとりの自分が、ずいぶんやさしくなった。

「おつかれさま。やっぱり疲れたよね。苦手なのに、よく参加したよね」 「今日はあの人と話せたし、あの人とも仲良くなれたんじゃない?」 「とりあえず、今日はゆっくり休もう」

そんな風に自分から自分へやさしい声をかけてあげられるようになると、苦手なことにも挑戦しやすくなる。

誰にだって、「どうしても苦手なこと」ってある。

苦手なことに対しては、「がんばってできるようになろうとする」か「あきらめる」の2択だと思っていたけれど。

何年がんばっても、できるようにならないこと。
でもできるようになりたいことがあるのなら。

がんばりすぎず、かといって逃げきらず。
強がらず、開き直らず。

苦手なんだよなぁ。でも、できたら楽しいだろうなぁ。」 そんなふうに、自分の気持ちをまるっと認めて、 自分のできる範囲で「苦手」とつきあっていく。苦手なことに挑戦する次の日はゆっくり過ごせるように調整しておいたり、毎回は参加しなくても2回に1回は参加してみよう、みたいな感じで折り合いをつけたりしながら。

もしかしたらひょんなことがきっかけで、「苦手」が「得意」や「好き」に変わることだってあるかもしれない。 人生、なにが起こるかわからない。

そんなフワッとした期待を胸に抱きながら、「苦手」といい距離感関係を築いてみる。

そんな感じが、今の私の「苦手」とのつきあい方です。

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